コロナ騒動 - オランダの6か月を振り返る
Covid-19, The Netherlands
世の中、特に日本はコロナの関心度がとても高く、センセーショナルな煽りのようなニュースを出しているメディアが目立ちます。 欧州は多数の死者が出たこともありますが、小さな、珍しい事案を大きく報道して「だからヨーロッパは危ない」という結論に持っていく 方式にも個人的には嫌気がさしたので、冷静に、淡々とこの6か月間振り返る文章を残しておこうと思いました。 そもそもヨーロッパという一括りで纏めるのもどうなんでしょう?と思いますし…。アジアで一括りされたら大半の日本人は怒るでしょ?
お正月に小さく出ていた記事「中国でナゾの肺炎」…。それが瞬く間に中国全土に広がり、ニュースで見るのも信じられない突如の包囲・ ロックダウン。 その当時はまるで他人事のように見ていたヨーロッパでしたが、実はもうそのときにはイタリアを中心としたヨーロッパに入り込んでいた、というのが 今は通常説になっています。
しかし、もちろん当時はそんなことはつゆ知らず。通常通り2月末のクロッカス休暇に 多数のオランダ人がイタリア、オーストリアにスキーバケーションに 行き、春のカーニバルと重なったため、3月に突如爆発的に感染者が増えはじめました。
当時は普通通りにサッカーも行われており、 各地でサッカーの試合、試合前後に仲間とのバーでの飲食が行われていたので、今の生活が日常と考えれば当時どれだけ恐ろしいことを していたということか。PCR検査などまだまだできない時期でしたが、もし今の体制で検査していたとしたら…日々万単位で感染者が爆増 していたことだろうと思います。
しかし、当時はまだまだ「そんな病気、私たちは克服できるから心配ない」という風潮が強く ほとんどの人が心配していなかったということも鮮明に覚えています。私の義妹は老人ホームで働いており、義母(彼女の実母)にも 毎日会っているのですが 電話したとき「それほど心配してない。インフルエンザと変わらない。」と明言していたので、現場もそういう風潮だったのでしょう。

オランダで最初の感染者が発表されたのが2月27日。3月6日に最初の死者が発表されました。たったの一週間。しかし、 この一週間で重症化して病院へ担ぎ込まれる人が増えて、対応しきれなくなった数軒の病院が閉鎖される騒ぎとなりました。 病院からの要請を受けて、3月9日より握手禁止、きちんと手洗い、風邪の症状がある場合は外出禁止などのルールが定められました。 実は私は3月9日に病院で予定されていた日帰り手術を受けたのですが、その時は「握手禁止ね~」くらいの軽い形で無事手術を受けることが できたのでした。
オランダがコロナ禍で次々と想定外事態になったのがこの週。特にカーニバルがさかんに行われた南部で、病院に担ぎ込まれる人が相次ぎ 対応しきれなくなった病院患者が次々と対応できる病院に転院しはじめました。医療崩壊が急に近づいてきたのです。死者数もみるみるうちに増え、 危機感を募らせた政府はなるべく家にいるように指示をだし、 そして数日後の3月15日の日曜日。5時半に重要な発表がある、と言われてテレビをつければ、わずか30分後に 正式オランダ版ロックダウン序章が始まったのでした。
実は後からの政府の談話では、このロックダウンを感染がひどい南部だけにするか、それとも全土にするか、最後の最後まで 揉めたそうです。しかし結果的に全土にしてよかったのだと思います。緩い地域と厳しい地域があれば、ひとびとは当然緩い地域に 向かいます。でも結果的にそれがウィルスをばらまく原因になってしまうので…今ではそんなことも当たり前に理解されてますが、 当時はそんなことほとんどの人が考えていませんでしたからね。
私はこのロックダウン開始の初日の3月16日に病院へ後日チェックに行ったのですが、1週間前とは完全に様相が変わっていました。 通常業務はすべてキャンセルになり、本当に必要な患者の予約だけ優先されていたので、病院の患者が私を含めて数人くらいしか いなかったのです。本当に大きい病院なのですが…。システムもまだ追いついていないらしく、ちゃんと見てもらえるのか心配に なったくらいです。お医者さんは本当にシリアスな顔をしていました。彼の母親が「こんなことは第二次世界大戦で ロッテルダムがナチスドイツに攻撃を受けた以来だ」と言っていたそうで、このとき初めてオランダ人の弱音を垣間見て、 自分の中にドスンと響きました。本当に世の中がひっくり返ってしまったと実感したのです。

それから慌ただしくオランダの日常が非常モードに変わっていきました。レストランや学校はただちに閉鎖されてしまいましたが、 人々の危機感が足りず、週末良い天気で外出する人が多くいたせいもあり、 次の週に入るとさらに厳しいルールが政府から求められることになりました。スーパーやドラッグストアも、政府のルールに合わせるために、店の中に入って良いのは 何人までと決められたり、洋服関連のお店などもほぼ休業していました。
公共交通機関も次々と特別ダイヤに変更となり、 ともかく「不急不要の移動はするな」という放送を繰り返すので気分がずどーんと重くなるのです。私自身は、 普段公共交通機関を使って通勤しており、一貫して週に2度ほど通勤をしたのですが、特別ダイヤで なかなかバスも地下鉄も来ないし、人はほとんどいないし…この世から人がいなくなってしまった…、と心細く思う日々でした。 またEUが国境を封鎖し、国家間の移動が難しい情勢になりました。日本に一時帰国するかどうかの選択を迫られたのが今頃。日本の 外務省がヨーロッパをレベル3に設定したこともあり、多くの人が一時帰国を選択されたことと思います。
実際、不安になることは多数ありました。オランダの死者が激増しはじめました。3月の末には1日の死者数が100人を突破し、重症患者も全国へ運ばれることになりました。 オランダ南部は北部へ行くよりもドイツのほうが近いのでドイツへ運ばれる患者もいました。このような状況では、未来が見えず不安になるのは当然です。 私もなんとか不安を紛らわすために通常通りの日常を過ごすように努めました。4月は週に2度通勤し、その帰りに食料を買って帰る以外ほとんど外出しませんでした。
オランダはオランダ式のロックダウンであり、たとえば移動の際何か証明書が必要、とかそういうことはありませんでした。それでも4月はほとんど外出する人も いなかったように思います。子供たちだけ決められた時間(一日1時間とか)外で遊ぶことが許されており、庭に出るとかわいい子供たちの声が聞こえてくるのが私にとっては 大きな救いでした。目の前が牧場で、日常通りヤギや羊、鳥たちがのんびりとしている風景もちゃんと世界が生きていることを実感できました。 SNSで毎日写真をあげることを日課にしており、カメラを持って庭をウロウロしていました。
オランダはもう何年も前からIT化を進めており、それがコロナ禍の中、ビジネス界においてはずいぶん役に立ってるなあと感じました。 たとえば今は市役所や税務署を訪れなくても書類の申請・受取が可能であり、銀行においてもIT化が日本に比べてずいぶん普及しているので 突如ロックダウンであっても振り込みできないということもないし、病院もそうですが職員が膨大な書類をチェックしなければいけないということもないし、 営業回りをしなければいけないということもないし、…そういう点ではロックダウンでも基本が崩れることがないということでは良かったと思います。 しかし、怠け物にとってはいくらでも怠けられる環境ができてしまった…そして、それが自分の存在の無意味さを証明してしまった、という点では どうだったのか?とは思いますが…。もともとオランダの従業員はうその病欠をする等、怠け者が多いですからね。

このコロナで鮮明になったことは、各国の対応です。ヨーロッパはEUでひとつの国のようなもの…そうだったはずなのですが、このコロナで国の方向性が非常に 鮮明になりました。特に対照的だったのが、オランダと隣国ベルギー。この二つの国は兄弟国のように思われたのですが、対応はまったく違いました。 特に国境封鎖は大きかったと思います。ベルギーは国境を厳格に封鎖し、オランダや隣国からの入国を禁じました。実際に警官が見張っていたり、 大きな障害物を設置したりして、入り組んだ国境の道路全部を封鎖したのです。
一方でオランダは陸路は一切閉鎖しませんでした。 コロナルールの基本が「不急不要の移動は禁止」なのですが、ドイツの国境近くにあるアウトレッドなどは週末になるとドイツからの車の行列が 出来ました。警察がときどき主な道路に立って「こういうルールになっているよ」と説明していたらしいですが、入国を禁じることは最後までしませんでした。 4月は天気が良かったので、ドイツからオランダの海岸まで来ていた人もいるようです。この人たちも1.5メートルなどの人数ルールさえ守っていれば 捕まって罰金を請求されることはありませんでした。しかし、カフェやレストランなどは閉まっているし、トイレも閉鎖されているのでどうやって 過ごすのだろう?そもそも楽しいのか?と個人的には疑問には思いましたが…(苦笑)。
オランダにとって社会を回していく根幹の定義として、病院や消防・警察などの人間が最低限必要とするものはもちろんですが、その中に学校も含んでいました。 先生の地位は病院従事者などと同等であり、子供たちを通常の日常に戻すことが最優先され、緩和政策は学校から始まりました。小学校は5月の休暇明けから一部登校開始。 6月からは全面登校が認められました。中学も6月から一部登校開始、夏休み後に全面登校となりました。今もオンライン授業が中心のアメリカなどとは完全に違います。 オランダでは早いうちから子供はスーパースプレッダー等にはならない、という認識でした。実際には学校再開後の5月、6月は感染者数、重症者数、死者数は 減るのみで増えることはなかったのでその認識は正しかったということなのか?この辺りは、いまだによくわかりませんね。

5月中旬からは禁止されていたIKEA等の大型店の再開が認められ、6月からはレストランの営業が認められました。多くのバーやカフェが、公園や公共道路にも テーブルを出すことが許されたので、1.5メートルルールを優先させた屋外のテーブル席で飲食を楽しむ人が多くいました。6月は感染者数も落ち着いていたので 割と抵抗なくみなさん外で歓談を楽しんでいたと思います。夜も日も長く明るいですからね。一方、レストランの室内はほとんど誰もいませんでしたが…。 私は特に出かけることはしませんでしたが、通勤途中でカフェに座って飲食を楽しむ人々を眺めては、少し戻った日常生活をうれしく思っていました。
6月より公共交通機関内でのマスクが強制となりました。オランダ人はそれまで…本当にマスクをしない人々だったし、マスク否定派が多かったので、ついに折れたか、という感じです。 5月中旬から末までは通常より多くの人が出かけました。6月からマスクをしたくなかったからです💦。なんということだー、と思いますが、結果的に 多くの人はマスクしたくないから外出しない、とマスクが外出抑止力となっていたのです。なるほどな、考えるな、オランダ政府!と感心してしまいました。 マスク=安心だけでなく外出抑止力。これができるのもマスク嫌いのオランダならではなんだ、と思いましたね。
7月に入り、サマーバケーションシーズン開始。その前に政府は夏休みは各自の責任で国内旅行を推奨しました。夏の旅行は徒歩、自転車、自家用車などで旅行をすることを 薦める…って、徒歩、自転車っていうのがオランダらしいと思いました。実際自転車旅行者もたくさんいたようで、夏休みは通常よりも自転車道が混んでいると 言っていました(笑)。実際に私の知っている人も何人か自転車旅行をしてました。
多くの人が国内旅行を選びましたが、自動車でフランスやスペインに行く人も多数いました。うちの子の位置づけマップアプリを時々見せてもらいましたが、 イビザ島などコロナ感染率の高いお遊び島に行っていた人も何人かいました。しかし、結局のところ感染するかどうかはそこでどのような行動をするか?のほうが 重要なのかもしれません。そこでバーやパーティなどへ行けば感染する確率はかなり高まり、ホテルとビーチでのんびり…レストランも同じ場所でのみ、みたいな 場合は感染率はかなり低くなるのでしょう。そんな訳で周りでコロナになったという話は結局今のところ聞いていません。それは、国内旅行も同じです。 いずれにせよ、多くのオランダ人が国内旅行に振り替えたため、オランダの海岸沿いなどは、例年以上に儲かったに違いない、というくらい 予約困難状況になっていたのが印象的でした。かくいう私もオランダの島に行き、天気も良かったため例年同様のサマーバケーションを楽しむことができました。
夏の休暇の緩みか…8月中旬よりオランダをはじめとしたヨーロッパでは再び感染者数が増え始めました。しかし、最初の状況を振り返っても、あの3月の状況と今の 状況はまったく違います。最初にも書きましたが、同じ条件であの時検査していたら、毎日何万人の感染者がいたに違いありません。やはりサッカーやコンサート、フェスティバルのような 大規模イベントがあるか?ひとりひとりが感染の可能性を認識し、意識し、予防するかどうかで全然違うのではないかと思います。
今は「風邪を引いた?具合が悪い?と思ったらすぐ家に籠る。そして検査。陰性と分かったら活動してもよい。」こんな感じで世の中回っています。 長く続いた不急不要の用事以外は外出してはいけない…というルールは一応8月をもって終了し(もうすでにあってもないようなものでしたが…)、 さらに緩和が進んだ形になりますが、今は感染者数が多く、警戒する人も多いのかアムステルダムやロッテルダムといった町を歩く人はあまり多くありません。

オランダで一番インバウンドが多いのはダントツにアムステルダム。そのアムステルダムは海外からの旅行者が減ってホテルの稼働率平均はだいたい10%~15%というところらしいです。 コロナ前は80%~85%くらいだったようなので、まさに奈落の底に落ちてます。観光客数は今や年間2000万人とも言われましね。アムステルダムは他の都市と比べても特に 小さなホテル、小さなレストランが多いのも 逆風です。どこへ行っても密状態になってしまうので…。不衛生なイメージはそのままコロナのダメージにダブります。しかし…ここで多くのお店が潰れてせっかく オランダの食文化が向上してきた機運を殺してしまう、オシャレなダッチデザインの発信を途絶えさせてしまうのはなんとか回避しなければならない、と思っています。 そんなわけで、今、感染しない確率を高く維持してアムステルダムを旅行するにはどうしたらよいか?を模索中…。実際、国立博物館などはめっちゃ空いていて、 人を気にしないで芸術を楽しむなら今でしょ、今!という感じらしいです。
そういえば、オランダサッカー代表の試合などはしばらくアムステルダムでしかやらないそうです。一部に集中してまとめて、管理しやすいようにする と共に、ホテルの稼働数を稼ぎたい…という思惑もあるのかもしれませんね。
実際、アムステルダムやロッテルダムで感染クラスターが起きて2週間閉鎖が命じられたお店を調べてみました。ロッテルダムの1軒はどんなところか知ってますが…どこも まさに若い子が好きそうな、飲み中心のバー兼おつまみ(お食事)処って感じでした。私の知っているお店はライブもやっているところです(今はやってませんが)。 やっぱり感染しやすいところで感染が発生するんだな、と妙に納得。あとは何店か店舗を持つチェーン店は、オーナー自らが評判を落とさず気をつけようと 思わないので基準が緩くなりがちかもしれません。
反対に自分のお店を精一杯経営している人は当たり前ながらコロナで店の評判を落とすことはしたくないので オーナー自らがきっちりと対策しているところが多いです。ホームページをきっちりとアップデートしており、人を詰め込んでお金を稼ぐより予約の制限をして 感染防止を心掛けているところはより安心できると思って、私はその辺りを重視して見ています。
実際生活していて、公共交通機関や街中でオランダ人の様子をずっと見ていますが、多くの人は気をつけています。こういう言い方をすると差別的かもしれませんが、 やはり高学歴で色んな情報を得て、生活水準が高い人はよりいっそう気をつけているように見受けられます。そしてリスクが高い老人世代は、そりゃもう…て感じ。 オランダ人は気に入らなければ面と向かって怒る人も多く、特にうちの子(中学生)くらいはよく怒られるようです。私自身も何度か「マスクをきっちりとしろ!」と怒っている 自粛警察ならぬマスク警察老人をなんどか見かけました…💦。そういう人は、もう顔からいって険しいです。あんたたちを見張ってますっていうオーラをプンプン…。怖いです。 うちの子なんて、スーパーや街中でちょっと立ち止まって待っていただけで、「ここは一方通行!」と何度か怒られた、て言ってました。かなりビクビクしてますよ…。
最初の頃はインフルエンザと変わらない、と明言していた義妹も途中から方向変換し、毎年行く夏の旅行も行きませんでした。通常の買い物もネット注文か 夕方閉店間際に行くようにしているそうです。旦那様も公共交通機関を使って出勤していましたが、ずっと家で仕事することになったそうです。 彼女の勤める老人ホームからはコロナ感染者は出ませんでしたが、ご近所では何十人かが感染し、そしてそのうち4割くらいが亡くなってしまったそうです。 かなりの高い率。これで危機感を持たないというほうがおかしいですよ。こうやって高齢者と接触がある人は特に気をつけていますね。
お隣さんも…特別仲良くはありませんが、ハイティーンの子供たちにもずいぶん厳しく指導しているな、という印象があります。子供から感染する確率が高いので 意識の高い人は接触する友達を限定する…etc.各家庭が工夫しているようです。我が家も「ちょっとそれは…」と思うことはやらせないようにしていますが、 あれもこれもとりあえずダメでは思春期の子供への影響が高いと考えているので、いつも考えながら許可を与えるようにしています。
これから冬に向かっていきます。第二波が…という話もありますが、個人的な考えですが、私は3月のように崩壊→ロックダウンはないように思います。 でも、コンサートやバー・クラブの全面解禁もまだまだ先が見えないような気もします。